むらたビトvol.3.グリーンパール納豆本舗 代表取締役社長 大沼賢治さん

常にワクワクと刺激を求め、村田に新しい風を吹かせる

グリーンパール納豆本舗 代表取締役社長 大沼賢治さん

村田町には外国人をも惹きつける納豆屋さんがあります。

 グリーンパール納豆本舗は全国納豆鑑評会で何度も受賞経験をもつほどの日本トップレベルの納豆屋さん。

また、海外に向けて、「NATTOMEN」、「NATTOCCINE」などのユニークな商品を開発し、アメリカ進出もされています。

 今回はそんなグリーンパール納豆本舗 3代目代表取締役社長の大沼賢治さんにお話をお伺いしました。

海外に目を向けたきっかけはお父さん

 大沼さんが海外に興味をもつきっかけとなったのは海外の人と触れ合うお父さんの姿だったといいます。

父は単語しか知らなくても平気でちょっと隣に座ったくらいの人でも声を掛ける。そんな感じで小さい頃から目の当たりにしていたからなんか面白いなって思いまして。それに、海外に行くと落ち着くんですよね。なんかワクワクするんですよ。

 同じところで一生終わるよりも、いろんなところで刺激を受けてた方がいい。同じ時間を費やすにしても、10倍から100倍くらい違った人生を過ごせると思うんですよ。そういう風に感じたんで。と話す大沼さん。

納豆屋さんを継ぎ、海外に向けた商品を開発することになった背景には大沼さんのこのような考え方がありました。

「日本にいて、一生懸命頑張っても、日本の一億人分の一人にしかなれない。でも海外に行って面白いことをしたら有名な日本人になるわけですよ。それだったら海外に行って、日本人にしかできないことをやった方がいいなって思って。」

子どもたちも海外へ!?そのきっかけは村田の友好親善交流事業。

 3人の子どもさんがいる大沼さん。その内の2人は海外の大学に進学されています。

きっかけはやはりお父さん(大沼さん)の影響ですか?と尋ねると、村田町で毎年開催している「友好親善交流事業」の存在を教えてくださいました。

 この事業は交換留学の制度の一つで、村田と姉妹都市になっている英国ウェールズ・フリントシャー州へ青少年を派遣し、ホームステイなど生活体験を通して、国際感覚を持った人材を育成することを目的に行われています。

 大沼さんのお子さんたちは、この事業をきっかけにイギリスとアメリカに留学したといいます。また、その際に、大沼さん家族もホストファミリーとしてイギリスの方々の受け入れを行っていました。

 他の地域でもあまりないこの事業は貴重と語ります。海外に行き、広い視野を持つと世界が広がっていく。

その世界を広げるチャンスが村田にはあるのではないかと思わせてくれます。

今、一番興味があるものは海外展開

 アメリカとは、長い月日をかけ、16年前にやっと全米の日系スーパーで納豆を取り扱っていただけるようになったと話します。ここ最近では、宮城県の事業で東南アジアの方々と接する機会が多くあるそうです。

 「うちの社長、大沼さんの納豆だけはあきらめないんだよね」とアポイントを取るのに半年待ちの有名会社の社長が大沼さんのつくる納豆に惚れ込む、そんなこともあったそう。

 まずは現地の海外の方1~2名に村田に来ていただいて、作り方を伝授し、海外でのオープン前1か月間はまるまる現地に行ってサポートする、そんな展開ならできるかなと構想を話します。

 現在もいくつかの国からオファーがあるとのこと。近い将来、グリーンパール納豆本舗の海外店舗が実現するかもしれないですね。

常にワクワクや刺激を求める日々

「今でも毎日ワクワクしながらやってますよ」

 納豆は生き物。毎日、同じ条件で同じように作っていても、年に3回くらい、今日のは本当に最高、世界一だと思う時があるんですよ。そんな時は本当にうれしい。今は仕事一本になってしまっているけれど、引退したら、納豆だけではなく、豆腐や少林寺拳法、焼き物など海外の方に教えたいなって思っているそう。昔から和の文化が好きで、少林寺拳法はずっと続けてきました。もうちゃんと予定も入れててね、相手の方にも伝えてて。

 この先の未来にもワクワクする予定をちゃんと考えているところさすが大沼さんです。

大沼さんが感じる村田の魅力と未来

 これまで多くの国を見てきた大沼さんに村田の魅力について質問してみると「変わらないところ」と即答されました。

その理由を尋ねてみると、「素朴だったら素朴のままの方がいい。変に都会化しない方がいい。その方がこれからは貴重性があると思う。」と話します。

 「とことん田舎な村田で押していこう!」

逆にその方が海外からも価値が出てくると思う。日本人以上に海外の人は和を好む。本当に田舎くさいもの、古い習慣を求めてやってくる。

今はどこにいっても変わらない。仙台も東京と変わらない。海外に行ってもそう。都市部にいっても東京と変わらない。だからつまらないんですよね。ところが車で30分くらい走ったところには、その土地の昔ながらの民家や現地のじっちゃん、ばっちゃんがいたり、その地域の良さが見えてくる。

 不便だと不便なりに大変なんだけど、住んでいる地域の方も過ごしやすく、地域外の方にも魅力ある町であり続ける、そのちょうどいいバランスができるといいよね。

 ハードは本当に昔のままで、ソフトは最先端。全家庭でネットが開通し、遠隔操作で、高度医療管理を受けられるとか、田舎にいても世界中の人と結びつけるって魅力ですよね。

 大沼さんの言葉からは、都会化することが必ずしも新しい人が集まってくるわけではなく、田舎の良さを守り続けることがこの村田の価値を高めていくように感じ取れました。蔵通りなど昔の風情が残る村田だからこそ、伝えられる魅力があるのかもしれないと思わせてくれます。

 これまで、さまざまな国を見てこられた大沼さんの視点は斬新で、村田の新たな未来の形を一つ、見せていただいたように思います。また、今後の大沼さんの活動が村田の魅力をさらに高めるきっかけに繋がる気がして、私自身もワクワクしたインタビューでした。