どんな人もほっとできる村田の第二のお家
麵屋だいず 早水喜子さん
いろんな出来事が重なり、引き寄せられるように村田へ
宮城生まれ、横浜育ちの喜子さん。
当初は先輩移住者インタビューで紹介させていただくつもりが話を聞けば聞くほど
「村田の魅力ある人」としてもぜひ紹介したい!と思い、今回、むらたビト4人目として紹介させていただく
ことにしました。
村田でいつも混んでるラーメン屋「だいず」
喜子さんと知的障害の弟、清貴さんの姉弟2人で運営しています。

人生の転換期
喜子さんには、人生で辛く、大変な出来事が3年間という短い時間の中で立て続けに起きた時期がありました。
お母様が亡くなり、その翌年に、ご自身が命を失ってしまっていてもおかしくないくらい大きなけがの経験をします。
病院の先生からも生きていることが不思議と言われ、自分が生かされた意味が分からずに、喜子さんはしばらく辛いリハビリ期間を過ごすことになります。そして、その翌年にお父様が亡くなり、自分が生かされた理由は「知的障害の弟、清貴さんを守ることなんだ」と気づいたそうです。
村田との縁
けがで大変だった時期、突然、宮城の従妹から喜子さんに電話があり、生前、喜子さんのお母さんが行きたがっていた親族のお墓参りで宮城に行くことになります。
そして、弟の清貴さんが宮城を訪れた際、恐れていたことが起こります。
親戚と話していた清貴さんは急に動かなくなり、近くの病院へ運ばれました。
その時、たまたま対応してくれた先生が日本に100人しかいないてんかんの専門医。これまで受けてきた薬の処方や今の状態などを正確に知り、今後の治療について考えさせられることに。
そんな時、親戚から「きよくんはうちで面倒みるよ、親戚は家族と一緒、小さい頃からよく遊んでもらったし、うちでよければおいで、困っている時はお互い様だから」とそう言ってくれたのが麺屋だいず創業者の親戚でした。
宮城にはてんかん専門医の先生もいる、お母さんが帰りたいと言っていた故郷に帰れるチャンスがもしあるのならそれはこのタイミングしかないのかもしれないと思ったそうです。
麵屋だいずを引き継いだ経緯
清貴さんは喜子さんよりも一足早く宮城へ来て、オーナーから一からラーメンづくりを学ぶこととなります。
そうなった理由の大きな一つに、当時、麵屋だいずを任せようと思っていた人たちが
全員辞めてしまうという出来事がありました。
そんな時に、清貴さんがオーナーに「僕は立派なラーメン職人になりたいです」と一言。
その一言だけポツリと言って、ふと洗い場に戻っていかれたそうです。
清貴さんに夢ができた瞬間でした。
残された清貴さんとオーナー。清貴さんの夢を叶えてあげたい!と、オーナーと清貴さんの2人3脚が始まります。
しかし、何回、何千回と言っても清貴さんに覚えてもらえない、それが障がい。
オーナーも何度も教えることを諦めそうになりながらも、清貴さんの笑顔を見る度に「俺も諦めちゃいけない、絶対きよにはできる」と信じて、ラーメンづくりを教え続けました。
清貴さんも愚痴一つ言わずに絶対に諦めませんでした。
そして、前職の関係で清貴さんと一緒に宮城に来れなかった喜子さんも遅れて村田へとやってきます。
その当時、清貴さんはメンマ切るのに3時間。
だいずのオーナーは村田の立ち上げのために来ており、いずれは次の仕事のため、村田を離れる予定でいました。
それを知った喜子さんは「あなたが行く前に私も一緒に仕込んでくれ!」と申し出たそうです。
すると、オーナーも「じゃあ、1年みっちり付き合うから」と言ってくれます。
その1年後、喜子さん姉弟2人はオーナーからお店を任せられることになります。



メンマを切るだけで3時間もかかっていた清貴さんが今はおいしいラーメンを作れるようになっています。
そんな今を考えると、そこに至るまでの苦労がどれだけあったんだろうと思わせられます。
ラーメン屋で「手話」
喜子さんは、今、手話を勉強しているそうです。
「お店に耳の不自由なお客さんが来た時、私は筆談で会話をしていたんだけれど、スタッフの中に手話ができる子がいてね、
手話の方が断然早いでしょ?うちのスタッフが目の前でパパパパパってやってるのを見て、触発されてさ。そこで火がついちゃった。ちょっと私も本格的に覚えようって思ったの」と話します。
現在、YouTubeで「凸凹姉弟手話朝礼チャンネル」をつくり、清貴さんと一緒に、毎日手話を交えた朝礼をやっているそうです。
「それを見てくれたお客さんが来てくれたり、なにを言ってるのかもだんだんわかるようになってきた」と話します。
障がいをもっていても、ハンディキャップをもっていても
笑って認めてもらえる世界をつくりたい!それが喜子さんの夢
喜子さんには「障がいをもっているお子さんやその親御さんにも気軽に来てほしい」という思いが強くあります。
障がいをもっていると、周りの目が気になって、なかなか外にご飯を食べに行けない人たちが多い。
やっぱりそんな世の中であってほしくないから。来たとしても特別扱いしないけれどね(笑)
うちのお店って「おかえり」「ただいま」「いってらっしゃい」が気軽に言えるお店なの。全員に言うの。最初は恥ずかしくて声を出せなかった人も最近は「行ってきます」ってぼそってつぶやくようになったり、日頃のちょっとした愚痴を聞いてほしくて訪れる人も。
どんな人もなんにも気にしないで、せめてラーメンだけはおいしく食べていってほしいし、息抜きできる場所、ほっとできるような居場所になってほしい。そして、「ハンディキャップをもっている子たち、障がいをもっている子たちが笑って認めてもらえる社会をつくりたい」、「ちょっとでも勇気が出てくれればいいな」そんな思いを届けたくて毎日YouTubeでライブ配信を続けています。

村田にきたことで、夢を見つけた姉弟
村田に来てから、清貴さんは元気になり、「ラーメン職人」という夢をもつことになりました。
そして、障がいがあってもその夢を叶えることができています。
「今後もおいしいラーメンを姉弟でつくりながら、障がいがあっても、ハンディキャップがあっても、夢は叶うことを伝えていけたらいい。だって、実際にきよくんが叶えてるんだから。障がいをもってても、世界に羽ばたけるような世界にしたい。それが私の夢。」と喜子さんは話されます。
今回、インタビューをさせていただき、一番印象に残っているのが喜子さんが帰られるお客さんに「いってらっしゃい」って声を掛けた時。
「ありがとうございます」とはまた違ったあたたかい感じが伝わってきて、素敵だなと感じました。
小さなお子様から学生、子育て中のママやパパ、サラリーマンなど多世代に渡って、
集う場所にもなっている麵屋だいず。
日頃の息抜きに来る方、喜子さんに愚痴を聞いてほしくて来る方、
村田でどんな人も受け入れる、第二のお家のようなほっとできる居場所を今回発見できたことが嬉しくなりました。
そして、なによりも清貴さんがつくるラーメンは美味しくて私の中でランキングに入るくらい!
ぜひ、みなさんも一度訪れてみてくださいね。
清貴さんが作るおいしいラーメンと、とっても明るい喜子さんに会うと、一気に元気がチャージされます♪
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